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僕がデザインの仕事をはじめた理由。「第二章」

 :     : 2023.05.19

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こんにちは!デザイナーのざきさんです。
お待たせしました!…待っていないですよね?すみません。

第一章からの続きをお話しします。

自分はデザインの才能が無いのかも…

そう思って、とにかく必死で課題の作品制作をこなしていきました。

学校は工芸工業デザイン科でしたので、材料を買うのによく東急ハンズにはお世話になりました。

当時の作品制作を写真に撮ってファイルにおさめているのですが、見返してみると本当に恥ずかしい作品ばかり…
デザイナーになるためには才能や根性も必要なんだな…ってつくづく思いました。学生生活の苦い思い出になっています。

学校を卒業後に就職活動をしましたが、当時はデザイン経験がないと中途ではなかなか採用していただけませんでした。
芸大や美大とは違い、夜間のデザイン専門学校でしたので、求人も多くはなかったです。

当時の求人誌である「DODA」や「B-ing」を読みあさり、少しでも商品に携わりたいと思い食器メーカーの社員として、2、3年の短い期間ですが働きました。
営業職でしたが、少しだけデザインをさせてもらい商品化するものもありました。

良い人とも巡り合っていろいろと書きたいことはありますが、この期間は割愛させていただきます。

そして、不動産広告の制作会社で働くことに…実は子供の頃から、家の間取りの見るのが好きだった?

もっと深くデザインに携わりたいと思い、実務未経験でも雇っていただけたのが広告制作会社でした。
新築マンションなどの不動産広告を中心に制作をしている会社です。

よく子供の頃に家の間取り図の見るのが好きでした。図面を見て勝手に自分の部屋を決めていたり。
実家は狭苦しい団地でしたので、いつか広い家に住みたいと夢の暮らしを妄想していたんです。
その事を面接時に話したら、不動産広告に興味のある人材が良かったらしく、すぐに内定をもらえました。

クライアントからデザインがダメ出し。すぐに作り直してくれと言われる…深夜残業は当たり前。広告代理店って仕事がキツい…

広告の締切日などもあって、納期(専門用語で下版と言うんですが…)なども決まっているので深夜残業や徹夜などが当たり前でした。
若かったのでなんとか日々の仕事を乗り切っていましたが、ストレスは溜まる一方。
それは制作部のメンバーも同じ思いで週末になると飲みに行く事が多く、普段無口な上司が飲み会だと会話の中心になったり…
本音をぶつけ合いながら、コミュニケーションを深めていきました。

今の時代は飲み会に参加したくないという方も多いと思いますが、僕はその時間や場所がとても大切だった気がします。こんな状況で10年間くらい働いていましたが、この会社の仕事経験があったからこそ今の自分があります。

スーパーの店員からグラフィックデザイナーへ…この経験がデザインの仕事に活かせることも多かった。

デザイナーってプライドが高く、生意気でとっつき難いイメージ?

同じ業界の人たちはそんな人も多かったですが、なるべく自分は親切で丁寧に仕事をすることを心がけました。
人と接する仕事が好きでしたし、相手から好かれるように努力をしました。

クライアントから気に入られると、指名でデザインを頼まれることも多かったんです。
それは今の職場でも同じ気持ちで実践しています。ある意味、相手から記憶に残る人でいたいですね…

それでは、こんな感じで僕がデザインの仕事をはじめた理由をお話しさせていただきました。
二章に渡って、お読みくださりありがとうございました!

次回は自分自身がデザインの仕事に対して心がけていることを少しお話ししたいと思います。


この記事を書いた人

ざきさん
ざきさん

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