こんにちは!デザイナーのざきさんです。
今回は僕がデザイナーになるまでの経緯をお話しします。
はるか遠い昔のお話しですが…
当時、僕は高校3年生になって、進路指導を受けるようになりました。
担任の先生から、進学するか就職するか、どちらに進むのかを決めようとの事です。
将来、どんな道へ進むのかまったく考えていなく、専門学校や大学へどんな分野の学校へ進学すればいいのか分かりませんでした。
ほぼ毎日、放課後はアルバイトに明け暮れていましたので、このまま社会人として働くのがいいのかな…と考えていました。
当時はまだバブル景気の余韻があるギリギリの時代でしたので、学校にはたくさんの求人案内が来ています。
メーカーの営業職や事務職、百貨店やスーパーなどの販売職、いろいろな職種の求人ファイルを眺めていました。
営業は大変そうだし、計算が苦手だから事務には向いてないかな…
そこで、目に留まったのは某大手スーパーマーケットの販売職でした。
ファストフードのアルバイトをしていて販売には慣れていたし、仕事も自分に合っていると思っていたので即決。
就職活動もその会社一本に絞り、面接や筆記試験を受けることに。
いざ、面接試験を受けると面接官と和気あいあいで、もう内定をもらったかのような雰囲気。
今では考えられない、人材確保による完全な売り手市場でした。
そしてすぐに内定をもらい、高校を卒業した僕はスーパーの店員として働くことになりました。
スーパーマーケット業界へ、いざ出陣。
新入社員研修を終えて、決まった配属先は某店舗の家庭用品売り場。食器や鍋、調理器具などあらゆる日用品を扱う売り場です。
先輩社員に仕事を教わる事はほとんどなく、上司と呼ぶのはそのお店で開店当初からお勤めされているパート社員のおばちゃん。
その方が社員並みに仕事をなんでもこなす、本部バイヤーからもスーパーパート社員と呼ばれていた偉大な方でした。
職場の母親みたいな頼れる存在で、何でも丁寧に教えてくれて、本当に今でも感謝しています。
ある程度、仕事を覚えると、売り場作りや商品の発注を任されるようになりました。
バイヤーから送られてくる資料やカタログから、売れそうなものを注文し、売り場に並べます。
季節ごとに商品やディスプレイを変えたり、自分が注文した商品が売れていくと嬉しくて仕方がありませんでした。
今のネットショップ中心の社会とは違って、お店の商品が売れに売れた時代でしたから…
何故、この商品は売れるんだろう…
商品の中には、値段も安くはないのに売れ続けているものがありました。
似たような商品でもAとBの商品ではまったく売れ行きが違うのです。
確かに、Aの方がパッケージが素敵だなとか…商品の形がいいなぁとか、売れるものはデザインに影響されていると気づきました。
この商品を企画して作っている人達ってすごいな…専門の職人さんってカッコいいなぁ…
まだ若くて夢見る頃の僕は、だんだんとデザインの業界に憧れを持ち始めます。
デザインの仕事って自分にでも出来るのかな…
20代前半の僕はだんだんと自分の将来を考えるようになりました。
まわりの友人は大学へ行ったり、専門学校へ行ったり、それぞれなりたい道を目指して頑張っています。
僕はただその場だけ、仕事を淡々とこなす平凡な毎日。それなりには楽しかったんですが…
でも、これからやり直せるのは今しかないっ!と思った僕は、即行動に移ります。
まったくデザインの経験がない僕は、デザイン業界なんて働けるわけがないし、とにかく専門学校で勉強してみようと思いました。
当時の販売の仕事はシフト制で休みも不規則、残業も多くてとても学校などに通える環境ではありません。
夜間の専門学校なら学費も安いし、貯金を叩いて通えそう!
働き始めて3年半、スーパーの仕事を退職して、昼間のアルバイトをしながら夜間のデザイン学校に通い始めます。
デザインの知識がなくセンスもかけらのない僕は、課題で出される優秀なクラスメイトが制作した作品にいつも圧倒される日々でした。
やっぱり自分はデザインの才能が無いのかも…
「第二章」へつづく…
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